昔うちで飼っていた猫は、病気になるとどこかに隠れて姿を現そうとしませんでした。ようやく探し出して、そっとなぜようとすると、弱った体でそれを拒む様子がとても痛々しかったことを思い出します。動物の本能なのでしょうか。私が闘病中のときも、それに近い感情を持ち続けていました。見られるのが恥ずかしいというよりも、「自分を守りたい」という本能の働きから、ひとをできるだけ避けようとしていました。
このサイトで「お見舞い」のページを作った背景には、こんな自分の経験があったからかもしれません。お見舞いに来てくださる方は、善意の気持ちでいっぱいなのに、患者本人には辛く思えてしまう場合もあるということをお伝えしたかったのです。
私が入院していたある日、友人がひとりの女性をつれて病室に現れました。私は初対面のその女性のお見舞いに、困惑しました。友人の古くからの知り合いだというその女性は、私の病気に興味を持ち、その日が休日でとくに予定がなかったので病院へ来たのだそうです。また、その方が読んでいたファッション雑誌の占いページに、「幸運の鍵がお見舞いに行く事」と書かれていたから来たとも話してくれました。(雑誌の編集者、出てこーい!)
当時の私は、手術の後遺症から顔をはじめとして、前身に麻痺が残り、治療のために丸坊主姿でした。誰にも見られたくない姿をしていたのです。寝たきりの体に加え、先行きのわからぬ自分のことで、心までもボロボロでした。彼女は私を「見に来た」のであり、「お見舞いを体験したかった」のだろうと感じてしまいました。(善意で来てくれていたのでしょうが、素直に喜べませんでした。)
お見舞いにルールはないのかもしれません。一番大切なのは、相手の気持ちを想像する力。そして、その想像すら、相手の気持ちに完全に寄り添う事ができないという、限界を知ることのように思います。最近は、なんでもマニュアル化され、それに従うことをよしとする傾向があるようですが、まず立ち止まり、相手の気持ちを想像してみる、そんな姿勢が大切だと思います。患者の立場になってみて、それまでの私は、相手のことを十分思いやらずに、自分の考える「よかれ」と思うことをしていたなあ、と反省するようになりました。相手が本当に望んでいるかまでは、想像できていなかったのではないかと。
この入院ガイドは、マニュアルを目指しているのでなく、みんなで考えるきっかけになって欲しいというねがいを込めて運営しています。